2018年も年の瀬が近づいてきましたね。
競馬ファンにとって年末最大のお祭りが有馬記念もうすぐです。
昨年はキタサンブラックが見事に引退レースを飾ったその瞬間を生で観戦しました。
その熱気は凄かった。。サブちゃんの生歌には感動しましたね。
と言うことで、競馬歴22年の私が独断と偏見で選ぶ歴代有馬記念のベストレースTOP5を紹介したいと思います。
テーマは「感動」です。
キタサンブラック然り、暮れの有馬を引退レースに選ぶ名馬が沢山います。
そんな有馬記念と感動は切っても切り離せない関係にあるのです。
目次
第5位:池添騎手執念のぶっちぎり(2013年オルフェーヴル)
オルフェは強すぎましたよね。
この有馬記念に至る背景には池添騎手にとって屈辱の乗り替わりがありました。
前年の凱旋門賞への挑戦の際、池江厩舎陣営が鞍上に選んだのはこれまでの全レースで手綱を取った池添騎手ではなく、現地フランスのトップジョッキーであるスミヨン騎手でした。
レースでは最後の直線でオルフェーヴル圧勝か!?と思わせるほどに後続を突き放すも、気性の悪さを露呈して内へ斜行。
大幅なロスを喰らっている間にソレミアに差され、まさかの2着。
世間からはオルフェーヴルに何度も振り落とされて、彼の背中を熟知している主戦の池添騎手だったら、、と言う声がたくさん上がっていました。
その翌年、オルフェーヴル陣営は早々に凱旋門賞へ再挑戦することを表明すると共に、池添騎手はフランスに長期遠征という名の武者修行へ。
現地での経験を積んで本番の凱旋門賞での鞍上に指名してもらうためです。
その時の武豊TVでの武豊の池添騎手へのイジりが面白かったですね。
その言葉は現実のものとなり、この年の鞍上にはまたしてもスミヨン騎手が指名されました。
その瞬間にフランス遠征を切り上げ失意の帰国をした池添騎手の無念さは計り知れないものがあります。
今思えば武豊のあの言葉はまんざら冗談ではなく、昔から毎年のようにフランスやアメリカに武者修行に出向いていた武豊だからこその言葉なのかと。
付け焼き刃な短期遠征で凱旋門賞に乗らせてもらえると思ったら大間違いだよ、と言っていたかのように感じました。
結果としては前年と同じく2着。
トレヴは強すぎでしょww
そんなオルフェも鞍上も悔しさを晴らすかのように引退レースの有馬記念ではぶっちぎりの圧倒的勝利!
やっぱりオルフェは強かった!
競馬ファンにあらためてそう思わせるドラマチックな有馬記念でした。
第4位:紅一点が驚異の逃げ切り勝ち!(2008年ダイワスカーレット)
話はその前年の有馬記念まで遡ります。
中距離路線を進んできた兄ダイワメジャーと3歳牝馬路線を進んで来た妹ダイワスカーレットが有馬記念で相まみえます。
両馬ともに複数のG1を勝って駒を進めてきていたものの、2500mもの距離は未知数。
妹に至ってはG1級の牡馬との対戦は初めてという不安材料もあり、妹ダイワスカーレットが5番人気、兄ダイワメジャーが6番人気という人気に。
結果は中山巧者のマツリダゴッホに屈するも、妹が2着、兄が3着と兄妹で複勝に絡む大健闘!
その有馬で引退した兄の遺志を受け継ぎ、妹は翌年も現役を続行します。
緒戦は初のダート挑戦となるフェブラリーステークス(G1)から始動し、ドバイ遠征が計画されていましたが、ウッドチップが目に当たって負傷するという調教中のトラブルによってその計画は白紙に。
予定が崩れながらも何とか春に1走した大阪杯(G2)では、後の宝塚記念馬エイシンデピュティを競り負かし逃げ切り勝ち。
その後はまたも故障により目標としていたヴィクトリアマイル(G1)を回避し、休養へ。
秋から暮れにかけての激闘へと備えるべく休養に入ったのでした。
秋は天皇賞秋(G1)から始動します。
同い年のライバルであるウオッカとの死闘で鼻差2cm負けてしまいますが、このレースは後世に語り継がれるべき名勝負となりました。
負けはしましたが、ダイワスカーレットの勝負根性には本当に驚きましたよね。
そして迎える暮れの有馬。
前年の借りを返すとばかりの圧逃劇で2着アドマイヤモナークを突き放して優勝。
その後、前年と同様にフェブラリーステークス(G1)からのドバイ遠征を予定していたものの、屈腱炎を発症しそのまま引退となってしまいました。
連対率100%の戦績は見事の一言です。
第3位:凱旋門賞の無念を晴らして圧勝(2006年ディープインパクト)
言わずと知れた最強馬、ディープインパクトの有馬記念も凄かったですよね。
日本中の期待を背負って挑戦した10月の凱旋門賞。
結果は3着入選も、レース後に禁止薬物が検出され失格処分となりました。
世間からの批判や疑いの目を向けられた陣営はなんとか体勢を立て直し、暮れの有馬記念出走へと漕ぎつけます。
当時の陣営のディープへの罪悪感の言葉がとても印象に残っています。
風邪薬が欧州の規定に引っかかる事を把握しておらず、ドーピング疑惑に繋がるダーティなイメージ・汚名を着せてしまったという後悔と懺悔の気持ち。
そういったものを全て振り払うかのような第4コーナーでのディープの飛ぶような走りは、鞍上の武豊が惚れ込んだディープの飛ぶような飛びの大きい走りそのものだったそうです。
このレースで引退が決まっていたディープのその走りを目にして、泣いていた競馬ファンも沢山いたという伝説の有馬記念でした。
第2位:菊・JC・有馬の鬼ローテで初G1制覇(1997年シルクジャスティス)
ひたすら渋い!!
歴代の有馬記念でこのシルクジャスティスが勝った有馬記念を挙げる人はほとんどいないと思います。
それほどに渋く、玄人好みのする馬がシルクジャスティスでした。
素質はありつつもなかなか勝ちきれず、デビューから初勝利までに7戦も掛かってしまいます。
そんな初勝利は年明け4歳時(現在の3歳時)の3月でした。
そこから毎日杯3着、若草ステークス1着、京都4歳特別1着と連勝し、日本ダービーへの挑戦権を手にします。
迎えた日本ダービーではサニーブライアンの二冠達成の前に屈しましたが、持ち味の末脚は見応え抜群でした。
三冠目の菊花賞(G1)の制覇を早くから期待されます。
秋は名牝ダンスパートナーを退け京都新聞杯(G2)を制し、臨んだ菊花賞ではライバルのメジロブライトやマチカネフクキタルなどに先着を許し5着。
その後もジャパンカップ(G1)で5着と初勝利の時と同様に、なかなかG1勝利に手が届きません。
そんな中、挑んだ暮れの有馬ではマーベラスサンデーとエアグルーヴに続く3番人気に支持されます。
終わってみれば、そんな1、2番人気を頭、首差で退け見事に初G1制覇を達成したのでした。
その後、徐々に不振に陥り、2000年の金鱗賞(G2)で引退しました。
このシルクジャスティスがドラマチックな理由は、こんな逸話があるからです。
シルクジャスティスはいじめられっ子の僚馬エリモダンディーをいつも他馬からかばってあげていた。調教のパートナーであるエリモダンディーと併せ馬をする時だけは真面目に走ったシルクジャスティス。そんな親友のエリモダンディーの死を境に不振に陥った。
何とも泣かせるエピソードではないでしょうか。
こういったエモい話も競馬の醍醐味なのです。
第1位:不振を乗り越えて有終の美!(ジェンティルドンナ)
まだその活躍が記憶に新しいジェンティルドンナ。
有馬記念制覇までにどんな成績のお馬だったのかを簡単にはまとめるとこんな感じ。
- 牝馬三冠
- 3歳でジャパンカップ制覇(それも先輩三冠馬オルフェーヴルを体当たりでぶっ飛ばして勝利)
- ジャパンカップ連覇
- ドバイシーマクラシック(G1)圧勝
簡単に成績まとめるだけでも圧巻です。
特にドバイでのレースは衝撃でした。
直線でのあのようなサイドステップはウオッカのダービー以来の衝撃でしたね。
ところが、ドバイで圧勝してからは低迷します。
宝塚記念、天皇賞(秋)、3連覇がかかったジャパンカップと立て続けに敗戦を喫し、ジェンティルドンナは終わったとか、ジェンティルドンナはもともと強くなかった、とかアンチ勢に言いたい放題言われる有り様でした。
オルフェーヴルに体当たりをした前々年のジャパンカップでかなりの競馬ファンを敵に回したのでした。
そのオルフェーヴルを吹っ飛ばしたレースがこれです。
人気者のオルフェーヴルを壮絶な削り合いの末に破ったがゆえにオルフェファンを敵に回してしまいました。
話はそれましたが、不振が続く中で迎えた暮れの有馬記念、4番人気と微妙な人気だったのはファンの期待と不安が入り交じった結果だったのでしょう。
レースでは好位から力強く抜け出し、引退の花道を飾ったのでした。
このレースで負かした相手もそうそうたる顔ぶれでしたよね。
- ゴールドシップ
- ジャスタウェイ
- エピファネイア
多くの競馬ファンの心に残る馬も多かったのではないでしょうか。
まさに歴史に名を残す名牝となった瞬間でした。
引退式での帽子もとても可愛かった!
まとめ:2018年の注目はオジュウチョウサン!
まさかの障害競走のチャンピオンホースが参戦してくるとは思いませんでした。
まるでマキバオーの世界ですよね。
オッズ的にはそれほど人気はしないでしょうが、出走する馬すべてにチャンスがあります。
オジュウチョウサンが勝ったら過去最高に印象に残った有馬記念になることでしょう。
応援しています。
ここまで競馬好きをこじらせたオッサンの駄文に付き合ってくださってありがとうございました!
他にも印象に残った馬の記事を書いていますので、よかったらどうぞ。
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